危険な誘惑にくちづけを
 

「薫ちゃん……」



 紫音が入院している病院の病棟談話室で、薫ちゃんは、腕を組んでパイプ椅子に座っていた。

 その眉間には深々と皺が寄り。

 何かに猛烈に怒っているような。

 ううん、もしかしたら、泣きそうな顔で談話室の白い壁を睨んでいた。

 談話室には、他に何人か別の患者さんの家族が出入りしているし。

 薫ちゃんの前のテーブルには、プルタブの開いた缶コーヒーが二つ置かれては、いるものの。

 皆、薫ちゃんの静かな迫力に気圧されて、彼の周りには、誰も近寄らずに遠巻きにしていた。

 ……今の薫ちゃんは。

 怖い、と言えば、怖く。

 けれども、それ以上に、とても悲しそうだった。
 
「薫」

 とても、ちゃんと声をかけられないわたしに変わって、スィンちゃんがはっきりと、呼びかけた。

 すると、やっと。

 熊みたいに大きな身体がこっちを見て、無表情に、ほほ笑んだ。

「ああ、スィン。
 ……春陽。来たね」
 
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