イナフ ー失われた物語ー 【小説】



口に差し込まれた

一枚の金属片は

まるで

鍵穴に差し込まれたカギだった

そして深夜にしか開かない

魔界の扉の鍵が

夕暮れに弾けて飛んだ

扉がきしみながら

大きく開いていくのが見えた

理性が完全に

吹き飛んでしまうような

激しい性感が全身を貫き

うめき声と共に

私は思わず舌圧子を噛み締めたまま

首をのけぞらせ

気がつけば彼の指先から

それを奪い取ってしまっていた…




「どうした?痛かったかな?」

医者は抑揚のない

死んだような声で

私に問い掛けた

私は震えていた

口から舌圧子が

唾液の糸を引きながら床に

音を立てて落下した

「どうした?」

彼は項垂れている私の顔を

両手で挟み込み前を向かせた

「吐き気か?」

何が起きたのかわかってしまう前に

ここから立ち去らなくては

それだけ思いつき

私は担当医にかすれた声で言った

「もう…耐えられ…ないです…部屋

に帰してください」

その時だった

彼は私の顎を片手でつかみ言った

「口を開けるんだ」

半開きの唇を押し開いて

診察用の薄いゴムの

手袋を被った二本の指が

ゆっくり舌の上をまさぐっていた

「はあっ…」

彼の二本の指は

徐々に深く口の中にねじこまれ

私の口の中は

彼の指でいっぱいに塞がれ

物をいうこともできずに

ただ彼の腕をつかみ

顔を逸らそうともがいた

椅子が傾いて床に身体が落ちる

彼は

初めて私の目を見た

彼は笑っていた

声もなく

倒れこんだ私の口に

指を埋めたまま


次の瞬間に彼は

私の身体を押し倒していた

「もう…だめだろう…こうされたら

耐えられないだろう?」

私はその時

すべてを理解した



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