イナフ ー失われた物語ー 【小説】



彼は再び病室に姿を現した

ナースを追い払い

彼はドアに鍵を掛けた

振り向いた彼は笑っていた

手には細い注射器を持って…



私は初めて

自分から彼にすがりついた

跪き腰を彼の脚にこすりつけ

夢中で彼の手に唇を押し当てた

そして自然と私は舌を出していた

彼に銀色のリングを差し出すように

早く…

早くして…!

ああ…気が狂う気が狂う気が…

「もう駄目です…」

私は彼を見上げかすれた声で告げた


彼は微笑みながら口を開いた


メモを見たよ…

とうとう駄目になってしまったな

そう言うと彼は汚物のように

乱暴に私の手を払いのけ

私の髪の毛を力の限り鷲掴みにした

引きちぎられるような痛みに

顔が歪み喉からうめき声が漏れた

どうかな?

彼は笑い顔のまま私に話し続けた

君のような役立たずは

死んだほうがマシだが

僕が親切に奴隷にしてあげた

役立たずの家畜が

自分の意志を持ってどうする?

まるで恋人気取りじゃないか

とんだ錯覚だな

安心しろ

家畜には要求する権利などない

無駄口が叩けないように

昼も眠らせてやる

犯されたくて犯されたくて

気が狂いそうなんだろう?

もうほんの少しも

我慢出来ないんだろう?

ありがたく思え

それとも狂ったまま

毎日夜中までのたうち回りたいか?



悪魔のような冷血な目が

私を見下ろしていた

その目に私は初めて戦慄した

人…じゃない?

その瞬間

腕に直角に突き立てられる針

「うあぁっ!」

私はその痛みに耐えられず

思わず苦痛の声を上げていた

「ベッドに戻るんだ」

腕に注射器が突き立てられたまま

髪の毛を掴まれて

ベッドまで引き摺られていく

完全な嗜虐

やはり人ではない

私も

そして

あなたも…



薬はすぐに効く

静脈に直接鎮静剤が入る

朦朧とする間もない

眠ったのではない



意識を失った







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