イナフ ー失われた物語ー 【小説】
脚と舌
それは唐突にやってきた
事の発端はというと
リハビリの整形外科医が
私の脳の運動野を調べたい
ということだった
この両脚の麻痺は
優秀で快活な青年にとっても
ひとつの挫折だったらしい
末梢神経や脊髄は全て調べ尽くした
あとは中枢神経しかない
記憶喪失の件で私の担当医が
撮影しているCTの写真では
異常が見られない
CTの画像で出なければ
MRIか
もしくはレントゲン
とりあえずこの病院には
CTとレントゲンしかないので
他の病院に回す前に
レントゲンを撮って見ることに
なったらしい
担当医に許可をとるよ
彼は診察室に私を呼んでそう言った
レントゲン
当然金属が写り込む
うちの担当医がOKを出すだろうか
同僚にバレる
あらぬ場所に金属のリングが写る
当然私にリハビリ医は事情を聞き
実際に舌を診察するだろう
担当医に彼が話を通したら
きっと担当医は夜中に
リングの摘出をするに違いない
私は急にこの闇の一端を
快活な青年医師に覗いてもらいたい
という衝動に駆られた
なぜかはわからない
しかし
自分には
なにもない
ということがわかってから
何かが自分の中で
変化したようだった
私は彼に
担当医に明日私のレントゲンを撮る
という旨を今すぐ伝えてもらいたい
と言った
彼は不思議そうな顔をした
なぜ?
今日で明日なんだい?…と
私は微笑みながら答えた
彼に一晩だけ
猶予を差し上げたいのです
そう言って私は彼の前で
口を開けた
よく見えるように
舌を口から出した
彼は
一瞬 言葉を失った
いつもの笑顔が完全に消えるのを
私は見た
私は舌をしまい
彼に笑顔で話し掛けた