AEVE ENDING
『…奥田』
確か、それが初めてだった。
『なぁに、倫子。今忙しいから後で』
デスクに腰掛けた奥田は、一時間前からカルテしか見ていない。
そして奥田はいつもそう言う。
でもそれでも話はちゃんと聞いてるから、倫子はかまわず続けた。
『…あの人が、来てる』
包帯を皮膚が見える隙間もなく全身に巻きつけた倫子――この時の格好はまさしくミイラ男で、我ながら笑えた――は、小さな小さな覗き窓から外を見ていた。
その呟きに、奥田はカルテを放してこちらに歩み寄ってくる。
ぺたぺた。
だらしないスリッパの足音が近付いてくるのを、背中で聞きながら。
『…どの人?』
倫子の頬に頬を寄せて、ふたり並んで小さな窓を覗き見る。
鮮やかな庭園の地下にあるこの研究所からは、外を眺めることが出来る窓はひとつもない。
この高さ二センチの覗き穴――いや、通風口が唯一の外界との繋がりだった。
『…私を、選んだ人』
花も盛り、庭園の中央。
咲き乱れる薔薇園に、その人は立っていた。
花粉を運ぶ虫が絶滅しかけているため、人工受精をなされて花を付け実を結ぶ花々のなかに、可憐な少女のような女性が―――。
『…倫子』
私の呟きに、奥田は苦笑する。
『恨んでるの?』
『…うん』
そう答えた倫子の頭を、無骨な手はそっと撫でた。
頼りない指先が、気持ちばかりに髪を掠めていく。
―――恨んでるけど。
『自分の子供を守ろうとしたってのは、褒めてあげてもいいかな』
そこに愛は、確かにあったのだ。
それは傷だらけになった倫子にとっての、救いだった。
『…お前は、その愛の為に犠牲になったのに』
奥田は、苦虫を噛んだような表情を浮かべた。
この話題になると、彼はいつも困る。
『…いつか、会ってみたいな』
『―――誰に?』
解っていて聞いて傷付くなら、無視すればいいのに。
意外と律義で自虐的な奥田に苦笑して、倫子はその笑みを象ったまま下を向いた。
『…私が、身代わりになった人』
どんな人だろう。
この身体が受けた痛みなど知らない、愛に包まれた人。