AEVE ENDING





「…あら、もうこんな時間」

淑女がその折れそうに細い手首に巻かれた腕時計を見た。
それに促されたように、紳士が手にしていたティーカップをソーサーへと優雅に戻す。

「桐生理事によろしく言っておいてくれないか。また会合が出来れば、とも伝えておいて欲しい」

頷く。
それを黙認した二人が、無駄な動きなくソファから立ち上がった。

香り高い紅茶に混ざり、媚びるような芳香が雲雀の眉間に皺を刻む。
嘔吐感を催す、不快な異臭だった。


「せめてパートナーの方に挨拶をしたかったのだけど」

壮麗な扉を開ける形で立つ雲雀に、淑女がそっと囁く。

「…随分と、気になさるのですね」

普段なら興味も示さないようなことに。
牽制するが、淑女はその柔らかな空気を崩さない。
けれどその雰囲気を保ったまま、じわりと緊迫した空気が滲んだ。


「…桐生理事から少し面白いお話を聞かせていただいたのよ」



(ただの偶然だったんだ)

(ただ、彼女が、)










「―――雲雀」

彼女が話の続きを口にする前に、明け透けな声で名を呼ばれた。
この箱舟で、雲雀を呼び捨てにする者はひとりしかいない。

「…橘」

振り向けば、やはり倫子の姿。
寝起きのままの格好で、こちらに向けて暢気に手を挙げている。

「タチバナ…?」

しかしそう口にしたのは、雲雀ではなかった。
すぐ真横に立つ淑女の柔らかで清楚な空気が、一瞬にして変わる。

作り物のように完璧だった空気に、小さな罅が走る。


「橘、倫子…?」

蚊の鳴くような声で、彼女は言ったのだ。

初対面である筈の、知るよしもない「パートナー」の名前を。




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