AEVE ENDING
「…最近、倫子の姿を見ないわね」
デスクに行儀悪く腰掛けたササリが、カルテを放り出して小さく吐き捨てた。
手にしている古いカルテから視線を外さず、薬品棚を整理している奥田へと聞かせるように。
「…留学生が来日してからずっとよ。部屋に閉じこもっていたと思えば、知らないうちにどこかへふらふら出ていくし…」
長い黒髪を指で梳きながら、ササリは苛立たしげに窓の外を見やる。
なにもない荒廃した大陸と、汚染された水平線が重く垂れ下がった雲に照らされて、悲しい。
───それでも普段より雲は薄いのか、時々雲に濾された陽光らしきものが海面を白くする。
「…痛みに、耐えてるのかもなぁ」
そんなササリに、奥田はワンテンポ遅れて答えた。
答えた、というより、独白に近いかもしれない。
「…修羅と鍾鬼。神の名を持つふたりのアダムがこの箱舟に揃ってるんだもの」
俺だって感じちゃうくらいの、圧迫感がさ。
「雲雀くんは普段から能力を抑えているけれど、あの鍾鬼ってボーヤは剥き出しだからね」
だからこそ、倫子の脆い体には大変な毒となる。
もとより、彼女はもとは人間。
ただでさえうちに移植された修羅の力を持て余しているというのに、それには劣るとはいえ、同等の力が間近くにある。
───アダムとして本能的なストッパーもない、剥き出しの柔な精神。
鍾鬼の研ぎ澄まされた力は、その体を貶める凶器になりうる。
一糸纏わぬ肌に、熱く煮えた鉄の棒を押し当てることと同じであろう。
アダムとして造られた体ではないということは、そういうことだ。
「また戻ってしまうのではないかと、恐れているんだわ…」
あの、物言わぬ肉塊に。
ただ生命を維持する機能だけが残った、ただ醜いだけの、生肉の塊。
胎内に潜む神に、自身の殻を喰い破られることを、脅えているのだ。
それは。
あまりにも。
「…俺らの仕事は、とうの昔に終わったのになぁ」
奥田が小さく、本当に小さく吐き捨てた。
それこそ、自嘲するように。