AEVE ENDING






音が、聞こえない。

まるで水の中にまだ、漂っているようで。

なにも、聞こえない。



『…橘』

あぁ、声が、する。

『橘…こっちへ』

光が、見えない。

(どこへ行けばいい?)

でも体が、水の中に、沈んで、いってしまう、から。

―――そっちへ、行けない。




『…橘』

誰。

雲雀じゃない。
雲雀の声じゃない。

皮膚になにかが触れる。
感覚はあるのに、まるで私のものじゃないみたいだ。


『橘』

―――触るな。

『…橘、此方へ』

嫌だ、行きたくない。
そっちには、行きたくないのに。

(体を曝すことになるだろう?)

その醜い体を。

(―――なんの為にお前を造ったのか、俺にはもうわかんねぇよ)

そんなこと言われて、じゃあ私は、どうすればいい?


『来い、橘』


面会時間だ。






「…、」

力の抜けた体を抱き上げれば、弛緩した剥き出しの手足が重力に従いぶらぶらと揺れた。

漂白された青白い皮膚に目立つ、蛇のように這う浅黒い施術痕。


「…鐘鬼、支度を」

幾田桐生の声を背に受ける。

今から始まるであろう茶番に、さも高揚を隠せないというのか。
普段、落ち着き払った声色は、今日は微かに弾んでいた。

「…今、行く」

眼下に揺れる、穢らわしい白に吐き気がする。
馬鹿みたいに笑うあの面影は、もうここにはないというのに。


『…ねぇ、私、あんたのこと嫌いじゃないよ』

―――笑う。

自分を捕らえた相手に、屈託なく言い放ったその声色に。

『一緒なんだよ。なにも変わらない。私もあんたも、…雲雀も』

泣きそうになりながら、赦しを乞うたその横顔も。

『…汚すなよ』

敵を、気遣うような言葉も。

『あんたにはまだ、余白があるのに』

―――だから。

『汚すな、』

この白濁した、醜い体を。
それを以てして、彼女は。




「悪い、な…」


橘。

俺は、お前を。





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