血を吸うことを知らない吸血鬼
僕と彼女の
そっと桜の幹に背を預けて見上げた木の枝には、既に花は無かった。
溜め息をつくのを堪えたのは、ふと人間の風習を思い出したから。『溜め息は幸せを逃がす』と、その昔彼女に教えて貰ったのだ。
彼女とは、咲代という小柄で僕の初めての想い人。
逢うことはいつの日かなくなり、何十年もの月日が無情にも過ぎた。彼女はもう40歳ぐらいになっただろうというのに、僕は変わらず10代のまま。人間ではない僕は歳を取ることを知らない。
吸血鬼というリスクのある僕を受け入れてくれた初めての人間が彼女だった。彼女とならどんな禁忌でも乗り越えられた。でも、そう思っていたのは僕だけだったのだろう。だって彼女は忽然と僕の前から姿を消したのだから…。
人間の匂いがして視線を横へ向けると僕の外見と同じぐらいの歳の女の子が笑顔で近付いてきた。
「あなたが、シュウさんですか?」
なんで名前知ってるんだ、とかそんな疑問は一気に頭から飛んだ。
彼女、咲代に…似ている。
「君、は………?」
「ああ、私は香代っていいます。突然びっくりしましたよね、ごめんなさい。咲代って知ってますよね?」
私の母なんです、と言われた時は本気で腰が抜けたかと思った。でも反対に似ている事に納得する。
「香代さんが僕になんの用ですか…?」
くすり、と哀しげに微笑むと「今は良いじゃないですか」と、隣りに腰を掛けた。近くで見ても本当にそっくりで。
「シュウさんのこと幼い頃からいつか母から聞いてたんです。人間じゃなくて吸血鬼と愛し合った事があるんだよって。その人は歳を取らないんだって」
娘に話してる咲代が思い浮かんで頬が緩む。頬を撫でる冷たかった風と一緒に、僕の心も暖かくなった気がした。
「母は、『彼に血をあげた事は一回だけ、それも指先から出たちょっとの血だけなのよっ』ておかしそうに笑うんですよ」
「契約したんだ。彼女だけを愛すって、人生を共にするって。だからほんの少しだけで良かったんだ」
香代はおかしそうに笑い、僕の顔を見る。一瞬ドキッとしたが僕をまじまじと見る彼女を見返した。