恋時雨~恋、ときどき、涙~
健ちゃんは少し緊張した面持ちで、わたしに「おはよう」と大きな口で言った。


わたしは手話で〈おはよう〉と返した。


ぺったんこのサンダルに足を通した時、健ちゃんがカゴバッグを持った。


「何だ? 動物園に行くだけなのに。大荷物だんけ」



そう言って、健ちゃんは弾かれたように、お母さんを見つめた。


お母さんが健ちゃんに何かを話し掛けたようだった。


健ちゃんは、笑って「はい」と言っていた。


〈行ってきます〉


わたしが言うと、お母さんはにっこり微笑んで「気を付けるのよ」と言い、健ちゃんに頭を下げた。


わたしが玄関のドアを開けた時、健ちゃんが肩を叩いてきた。


「怖いんだけど」


健ちゃんが指差す方を見て、わたしは呆れて笑ってしまった。


リビングの壁から顔を半分覗かせて、お父さんが健ちゃんを睨んでいる。


しかも、じっとりとした目で。


わたしは、お父さんを指差した。


〈お父さん!〉


すると、お父さんはハッとした顔をして、顔を隠した。


でも、間も無く顔を半分覗かせた。




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