恋時雨~恋、ときどき、涙~
いつもの癖だ。


しまった。


慌てていたから、いつも持ち歩いているはずのメモ帳とボールペンを忘れて来てしまった。


ふたりの視線が、痛い。


わたしはこんな時でさえ状況を伝えることができないのか。


その時、ふたりはハッとした顔で開く待合室のドアに視線を飛ばした。


静奈が入って来た。


鞄にスマホをしまいながら、健ちゃんのお父さんとお母さんを、きょとんとした目で見ていた。


〈健ちゃんの、お父さんと、お母さん〉


「あ……」


わたしの手話を見た静奈が、ふたりに会釈をした。


「あの……健太さん、今、手術を受けていて」


「手術?」


驚いた顔で、ふたりは固まった。


でも、静奈から盲腸だと説明されると、


「なんだー」


「びっくりしたー」


と同時にソファーに座り込んだ。


まるで、力尽きたように。


先日、イタリアンレストランで会った時とはまるで別人だった。


家着に、足元はサンダルで。


おそらく、病院から連絡を受けたふたりは、着替えることもなく慌てて駆けつけたのだろう。


その無防備な格好が、どれくらい我が子を心配していたのかを物語っていた。


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