捧げられし姫君
自室に戻るまでのことをファラーシャはよく覚えていなかった。
謁見での出来事が心に引っ掛かっていたからだ。
あの、イードの態度。
本来なら王に見初められたと喜ぶべきなのかもしれない。
ファラーシャも謁見前にあの男と会っていなければ、心がときめいたことだろう。
だが、ファラーシャはイードの言葉には一片の真実もないことを知っている。
「利用する気なんだわ」
ぎりと唇を噛む。
でも、何に利用されるのかが分からない。
ファラーシャは寝台の下に隠しておいた短剣があるのを確かめた。
必ず手元に剣を置くように、というのは母の教えである。
この国は、ファラーシャの故郷ほど平和ではないことを、母は知っていたのだろう。
しかし、知り合いのいない後宮で情報を集めることなど出来そうもない。
思案しているうちに、謁見前、ファラーシャの仕度をした三人の女が再びやってくる。
「今宵のために身をお清め下さいませ」
相も変わらず無機質な声と顔にファラーシャは辟易した。
けれども、今はこの三人から情報を集めるしかない。
ファラーシャは抵抗せず、三人の言うがまま部屋を出て湯殿へ向かい湯舟に浸かった。
熱い湯で体を洗われると、今度は背や腕に香料を塗り込んでいく。
甘い花の香りがファラーシャを包んだ。
嗅いだことのない強い香に目の前がくらりとする。
イードのために纏う香りは、ファラーシャの気分に不似合いなほど甘ったるかった。
だが、今はこの香りに酔っている場合ではない。
自分を鼓舞するようにファラーシャは一度きゅっと目を閉じた。