世界の神秘(短編)
 何度「泣くな」と言っても、泣き虫な彼女は従ってはくれない。初めて彼女と会った時も、確か泣き顔だった。失恋の弱みに漬け込んで血を吸おうとしたら、月光下の彼女があまりにも妖艶で。心を、奪われてしまったのだ。



「香乃花、いい加減泣き止め。俺にはもう時間がないんだ。」

「……こんな時だけ名前呼ばないで。いつもお前、お前って言うクセに。」



 仕方ないだろう。お前の名前を呼べば呼ぶ程に愛しくなる自分を、制御していたんだから。その言葉は言わないで、代わりにこんな台詞を吐く。



「出会った頃は『近寄るな』、『吸うな』プラス暴力だったのに、別れ際になったら吸えとはな。これだから、馬鹿は困るんだ。」

「だ、だって……」



 お前の言いたいことなんて、その切なげな表情から手に取るように分かる。俺を、愛してしまったから。そう言いたいんだろう、お前は。



「俺を愛するのは、もうやめろ。お前が辛くなるだけだ。」

「そんな……無理よ!もう、こんなに好きになっちゃったのに!!ノアはいつも自分勝手なんだからっ!!」



 悪かったな、自分勝手で。でも俺だって、考えに考えた結果、こうするんだよ。愛しい黒髪を撫でると、彼女も腕を伸ばして、俺の漆黒の髪を触る。「お揃いだね」と、いつか彼女が言っていた。そんなことが、馬鹿みたいに嬉しかった。

 互いの存在を確かめ合うように、俺達は相手の頬に、肩に、腕に触れる。背中に腕を回し、彼女を抱き起こす。焦げ茶の瞳は、こんな時でも美しかった。
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