腐ったこの世界で
「何かあったのか? 二人に嫌なことを言われたとか?」
「まさか! 全然ないよ!」
二人には本当によくしてもらってる。あたしなんかには勿体無いくらいだ。そうやって意気込んで言ったら伯爵が嬉しそうに笑った。
「それは良かった」
「うん」
「で、何に悩んでるんだ?」
……ちぇっ。忘れてなかったか。あたしは視線を泳がせながら「えっと…」何て言おうか考えた。この気持ちをなんて言ったら良いのだろう。感謝の気持ちはもちろんある。でもそれと同じくらい、後悔にも似た気持ちがあるんだ。
「…あたし、こんなに良くしてもらってるのに返せるものが何もない」
「そんなことは気にしなくていいんだ」
気にしないわけにはいかないよ。あんな大金で買ってもらったのに、伯爵は何もしなくて良いって言う。
――あたしはあの金額に見合うだけの価値なんてないのに。
ヤバい。なんだか泣きそうになってきた。伯爵が優しすぎて。どうせなら非道なことを平気で言い渡すような、とびっきり嫌な奴なら良かったのに。
「僕はね、君の瞳に惹かれたんだ」
「え…」
「あの場所で強い光を持った瞳に。このまま失うにはあまりにも惜しいと思った」
この人は真顔で何を言っているんだろう。恥ずかしいセリフも、伯爵の顔ならおかしく見えないから不思議だ。
絶句して何も言えなくなるあたしに、伯爵は優しく笑いかける。「それに君にはやることが山ほどあるしね」なんだと? そんなこと聞いてないんだけど。
「ちょっと、それどうい――」
「旦那さま、着きました」
意味深な伯爵の言葉を問いただそうとすれば、御者さんが外側から馬車の扉を開けた。あたしは聞くタイミングを失い、仕方なく口を閉じる。
そんなあたしに伯爵はまた笑った。くそぅ。あたしは抱き上げようとする伯爵の腕をすり抜け、自分の足で馬車から降りた。