腐ったこの世界で
今までこんなことなかったから、どんな顔をすれば良いのだろう。優しくされたことなんて数えるくらいしかない。
虚勢や強がりは得意だ。だけどいつの間にか、お礼や感謝の気持ちを表現することが苦手になってしまった。だって人狩りなんかにお礼することなんかなかったし。
「旦那さま、夕食の支度ができました」
「そうか。アリア、おいで」
いつの間にか入ってきたグレイグの言葉に、伯爵があたしに向かって手を伸ばす。あたしは仕方なく伯爵の手を取った。前に拒んだら勝手に手を取られたので。
すっかり馴染んだ屋敷では使用人の皆さんとも仲良くなった。料理長には今度お菓子作りを教えてもらうつもりだ。一人で勝手ににまにましてるあたしを、伯爵は不思議そうな顔をした。
「楽しそうだね」
聞きながらも伯爵の方が楽しそうな顔をしている。この人においては謎ばっかりだ。まず奴隷を買っちゃうし。あたしに衣食住を与え、教育をしてくれた。
まさかあたしをどっかの娼館に売り飛ばすつもりとか? いやいや、こんな凹凸の乏しい体ではどこも買ってくれないか。
「また何か考えてる?」
伯爵の手があたしの頬に伸びる。いきなりの感触にあたしはびっくりして、思わず身体を後ろに引いた。伯爵が目を丸くする。
「あ…」
「ほら、着いたよ」
伯爵は何も言わず、ただ優しく微笑んだ。あたしは何も言えず、伯爵の促すまま部屋に入った。
あたしはまだ、人に触れられるのが怖い。それは本能に刻み込まれた恐怖だ。
まるで捕まったら、逃れられないような――…。