腐ったこの世界で


伯爵に促されるまま、あたしはフロアーの中を進んでいく。頭の中にはさっきの男の人の笑顔がこびりついていた。
最初の親しげだった印象は一瞬にして薄れ、残ったのはあのせせら笑った顔。なんであんな顔をしたのだろうか。

「アリア? どうかした?」

耳元で伯爵に声をかけられてあたしは正気に戻る。ついでに自分がどこに居るのかも気づいた。
ダンスフロアーの真ん中。隣を歩いていた伯爵はいつの間にか前に居て、腰元を支えている。

「伯爵?」
「せっかくの舞踏会だから」

そう言って伯爵は楽しそうに笑う。明らかに踊る気満々だ。だけどあたしは自分のダンスの腕を知っている。とても人前で、しかも中心で見せるようなものではなかった。

「伯爵、」
「今さらフロアーから抜けることはできないよ?」
「……足、踏まない自信がないんだけど」

ぼそぼそ言った言葉に伯爵は一瞬目を丸くし、それから破顔した。右手を取られ、腰をぐっと引き寄せられる。

「お姫さまのためならいくら踏まれても問題ないよ」

そう言って嘯く伯爵に、あたしも思わず笑ってしまった。楽団が別の曲を奏でる。あたしは伯爵にリードされるまま、一歩目を踏み出した。
伯爵は微笑みながら巧みにあたしをリードする。おかげであたしはステップを間違えることも、伯爵の足を踏むこともなくダンスを踊っていた。

「上手いよ」

伯爵がそう言って誉めてくれるけど、それで自惚れるほど、あたしは自分が見えていないわけではない。確実に伯爵の巧みなリードがあるから踊れているのだ。


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