ママ、ありがとう。そして、ごめんなさい
家の周りは日本人が多かった。
大抵の子は3年で帰るけど、その後に新しい子が入る。
同じ学校の子達ばかりだ。
毎日遊んだ。
サイクリングしたり、噴水で水浸しになるまで遊んだり、
スケートボードのコートに自転車を乗り入れたり、そこでサッカーしたり。
近くの公園に行ったり、その途中にある木の実を食べたり。
楽しかった。

母親も楽しそうだった。
毎日、近所のママ友とお茶したり、お菓子をみんなで作ったり、お出かけしたり。
家族4人幸せだった。
ここで帰国していたら、今と状況は違っただろうか。
家族の歯車が壊れはじめたのは
私が11歳。
小学校6年生の時。
父の部署だけドイツ国内のドュッセルドルフに移動になった。
家族で引っ越した。
それが不幸の始まりだった
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