{霧の中の恋人}
「記憶の…隠ぺい…?」
ドラマや、小説でしか聞いたことがない聞き慣れない言葉。
口に出してみても、それは雲を掴むみたいに現実味をおびない響きだった。
「君の言葉が引き金となって、記憶が戻ったんだろうな…」
記憶の隠ぺいって、まさか本当に?
「一体、誰がそんなことをしたんですか!?」
「記憶の操作をしたのは父親で、声の主は多分…母親だと思う」
久木さんを捨てたというご両親が、久木さんの記憶を消したということ?
”あなたを忘れたりはしないから”という言葉を残して───。
一体、久木さんのご両親は何をしたかったんだろう。
理由は分からないけれど、久木さんが邪魔になって捨てたんじゃないことは分かった。
捨てたんじゃない。
何か理由があって、久木さんのもとを離れなければならなかったんだ。
それも、後ろ髪ひかれるように仕方なく。
離れてからも、きっと我が子のことを強く思ったに違いない。
どうか強く生きていって欲しい
私たちはあなたのことを忘れないから、と
シラン…
その名前に思いを託して───…。
「久木さんはご両親に愛されていたんですね…」
久木さんはビンに残ったお酒を一気に飲み干し、ほくそ笑んだ。