{霧の中の恋人}
「あ、久木さんおかえりなさい。
今日は遅かったんですね」
「ああ、色々と立て込んでてな」
「今日の夕飯は、寒かったから鍋にしてみました。
今、用意しますね」
「鍋か、いいな」
久木さんは目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。
ふんわりと嬉しそうに笑う久木さんの顔を見て、私の心臓が鼓動を打ち始める。
あの一件以来、久木さんの表情が柔らかくなった。
相変わらず口は悪いけど、棘がなくなって丸くなったような気がする。
ご両親の記憶を取り戻して、何か心境の変化があったのだろう。
その変化は、彼にとって良かったことなんだろうけど、私にとっては心臓に悪い。
顔の整った人が、あんな笑顔で微笑めば、たいていの女の子はノックアウトしてしまうこと間違いなしだ。
私も、見慣れていないせいか、久木さんの笑顔を見る度に、ドキドキと心臓を跳ねあがらせていた。
あの顔は反則だよね…。
火照った顔を手で扇いで冷ますと、鍋の用意を始めた。