{霧の中の恋人}
珍しく、久木さんは動揺しているみたいだ。
大きく揺れ動いている瞳がそれを物語っている。
京香と呼ばれた女性は、マズイという表情を浮かべた。
「…シラン…」
久木さんの眼差しが鋭くなる。
「君がなぜここにいるんだ」
地の底から湧きあがるような低い声。
久木さんは怒っている。
「シ、シラン怒らないで?
だって、私どうしてもシランが女の子と同居するなんて許せなくて…」
「ここには来るなと言ったはずだ」
あまりの久木さんの迫力に、京香さんはたじろいでいる。
「この件については、すでに話がついている」
「だって、だって…」
京香さんの瞳に、涙が浮ぶ。
久木さんは大きな溜め息をついたあと、チラリと私を見た。
「ここはまずい。
場所を変えよう」
促すように京香さんの背中を押して、2人はエレベーターの中に消えた。
ポツンと取り残された私。
「…どういう意味なの…?」
質問に答えてくれる人はおらず、私の呟きは廊下にむなしく吸い込まれた。