{霧の中の恋人}
「こちらに来い」
しばらく経って、久木さんはウロウロしていた私を呼んだ。
「手を出せ。
指紋認証の登録をする」
「指紋認証!?」
それって、指紋で本人であるかどうか判別する機械のことだよね?
テレビではそういった存在のものが在ることは知っていたが、実際に見たのは初めてだった。
「早くしろ」
そう言って、久木さんは私の手首を掴み、機械の上に置いた。
手の平の下に光の線がくぐり抜けたかと思うと、画面に【登録完了】の文字。
「指紋で本人と確認されなければドアが開かない仕組みになっている。
家に入るときは、部屋番号を押した後、今みたいに手を置くんだ」
久木さんが説明してくれた。
これプラス、カードキーまであるというから驚きだ。
何この厳戒態勢…。
ここまで警戒しなくても、盗まれて困るものなんてたかが知れている。
「じゃあ、お部屋までご案内いたしますね」
スーツをビシッと着た管理人さんがエレベーターまで案内してくれる。
今まで暮らしてきたマンションの管理人さんは、エプロン姿のおばさんで、鍋に入れた肉じゃがなどを差し入れてくれるような人だった。
今までとは何もかも違う暮らしになりそうで、私は不安な気持ちでいっぱいになった。
果たして、自分はこの雰囲気に馴染める日がくるのだろうか…。
エレベーターの中
どんどん上がっていく階数の表示を眺めながら、私はこれからの生活に不安を募らせていた──…。