{霧の中の恋人}
同じ家に暮らしているはずなのに、顔を合わせる機会はほとんどなかった。
彼は、ほとんど部屋から出てこないし、部屋にいても物音1つ聞こえてこない。
いるのかいないのか分からない程だ。
彼が部屋から出てくる時といえば、
出かけるとき、トイレに行くとき、お風呂のとき、冷蔵庫に用がある時ぐらいなものだった。
食事は別々にとっている。
毎食きちんと自炊している私に対して、久木さんがキッチンに立った姿を見かけたことは一度もない。
半分に仕切られた冷蔵庫の中には、食材がぎっしり詰まっている私のエリアとは対照的に、もう半分はいつもガラガラだ。
入っているものといえば、ミネラルウォーター、缶コーヒー、ビスケットのような簡易食、ゼリー飲料のみ。
外では分からないけど、家にいるときはそれらで食事を済ませているんじゃないかしら…。
一緒に暮らしていながら、彼がどんな食生活を送り、何時に寝ているのかすら分からない。
分からないといえば、彼の仕事も謎だった。