{霧の中の恋人}
引越しのとき。
家賃や光熱費を半分負担すると申し出たが、
「君が気にする必要はない」
の一点張りで、彼がすべて生活費を払ってくれるというのだ。
こんな高層マンションを借りられるのだから、さぞや良い会社に勤めているのかと思ったが、そうでもなさそうだった。
彼が出かける時間帯はいつも不規則で、とても会社勤めをしているようには思えない。
朝出かけることもあれば、夜遅くに出かけることもある。
一体どんな仕事をしているのだろうか。
私生活も、彼自身も謎だった。
『人に対して閉鎖的』
不知火さんが言っていた言葉の通り、他人を拒絶している節があるように思う。
光をまったく宿していないような漆黒の瞳を見ていると、闇の中に吸い込まれてしまいそうな危うさすら感じる。
あの瞳の奥に何を隠し、何を考えているのか。
考えていたって、何かが分かるわけでもない。
私は立ち上がり、食べ終わった食器を洗う。
日曜の今日は学校はないが、バイトがある。
─そろそろ出ないと。
出かける準備をして、玄関で靴に履き替える。
銀色をした玄関のドアにカードを通すと、無機質な機械音が、静かな廊下に響き渡った──。