{霧の中の恋人}
「俊介くん、さっきから何を読んでいるの?」
後ろにいる俊介くんに問いかけると、俊介くんはチラリと本の表紙を掲げて見せた。
「推理小説だよ。
監察医が主人公で、解剖学の視点から犯人を割り出していくんだ。
犯罪の可能性がある死体を解剖したり、死体に残された痕から……
瑞希さん…この話、今聞きたい?
聞きたいなら詳しく話すけど。
今ちょうど水死体について……」
「…いいや。また今度詳しく聞くね…」
水死体…
解剖…
聞いただけで、ますます吐き気を催す単語だ。
また胃から胃液がこみ上げてきて、思わず胸を押さえる。
「それにしても珍しいね。
俊介くんが推理小説なんて」
読書が趣味らしい俊介くんは、様々な種類の本を日替わりで読んでいる。
だけど、記憶に残っている中では、彼が小説を読むことは珍しかったように思う。
いつも『囲碁入門』や『趣味の園芸』など渋い趣味の実用書や、歴史の本などを彼は好んで読んでいた。
「うん。友達が貸してくれたんだ。
たまにはこういうのも面白いよ。
瑞希さんだって、珍しいんじゃない?」
「ん?何が?」
俊介くんが言う意味が分からず、聞き返した。
「お酒に弱い瑞希さんが、ヤケ酒して二日酔いなんて珍しいね」
俊介くんは本のページを1ページ捲って、一つ大きなアクビをした。
「…どうしてヤケ酒だと思うの?
ただ羽目を外してお酒を飲んだだけかもしれないじゃないの」
俊介くんは眠そうに目を擦りながら答える。
「お酒があまり得意じゃない瑞希さんは、理由もなく後先考えずにお酒を飲むタイプじゃないでしょ?
それに、さっきから溜息ばかり吐いてる。
ここに来てから38回も溜息をついてるよ」
…探偵も顔負けの名推理だ。
溜息の回数まで数えてるなんて…。
目ざといというか、鋭いというか…。