恋人は専属執事様Ⅱ
「あの…鷹護さん?」
見知らぬ更衣室に1人で入るのが怖くて、気を紛らわす為に思わず話し掛けた。
緊張して鷹護さんのシャツの裾をキツく握る私に、鷹護さんが軽く溜め息を吐いた。
「返事はお前がよく考えて決めるまで待つと言ったが、俺の気持ちを抑える積もりはない。好きな女がそんな姿で近くにいて、何とも思わない程俺は人間が出来ていない。俺の理性の箍(たが)が外れる前に早く着替えて来い」
背を向けたまま淡々とした口調だけど、だからこそ鷹護さんが本気で言っているのが分かった。
「直ぐに着て来ます!」
私は更衣室へ駆け込んだ。
私の足音が遠退くのと同時に、鷹護さんはその場にしゃがみ込んだ。
「欲求不満か?俺は…」
深く溜め息を吐くと、鷹護さんは自分のウェットスーツに着替え始めた。
新築の更衣室はとても綺麗で、私は鷹護さんの苦悩も知らずに着替えた。

ウェットスーツでもフィンを着ければ3メートルくらいなら余裕で潜れる。
私はシュノーケリングと称して何度も潜っては、熱帯魚や珊瑚礁の美しさに目を奪われた。
ここは波も穏やかで、滅多に水面に出たシュノーケルから海水が入ることもない。
偶に入ったとしても、焦らずに吹き出せば問題なかった。
初めてシュノーケルを体験したと言う秋津君は筋が良く、あっという間にコツを掴んで夢中になった。
意外にも宝井さんはマリンスポーツが苦手だった。
泳げないのではなく本人曰く
「顔が濡れるのも髪がゴワつくのも嫌だから」
だそうだ。
実際、泳ぐ時も顔をつけずに器用にクロールで泳いでいた。
…美意識もあそこまで極めればすごいと思う。

「ちょっと休憩しなーい?」
砂浜から河野さんが声をかけてくれたから、私たちは戻ることにした。
「はいお嬢、お疲れさま♪」
大きなタオルで私をすっぽりと包み込み、顔や頭の水気を拭ってくれる。
「喉も乾いたでしょ?ポカリ飲む?」
人懐こい笑みで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる河野さん。
「レモンウォーターはないの?」
タオルで襟足を拭きながら言う宝井さんに
「お前らはセルフサービス!」
と突き放す河野さん。
そんなことは気にも留めず、宝井さんはペットボトルを2本取り出し
「秋津はアクエリだよな」
と1本を秋津君に渡す。
やっぱり仲良しなのかな?
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