もう一度、はじめから
 深夜。お客さんの拍手があたしを包む。
 夜に桃との練習を終えると、あたしは着替えて、街のホテルへと向かう。
 ラウンジの中央にあるピアノ。お客さんに一度礼をしてからその椅子に静かに座る。気分を落ち着けて、集中する。そして、鍵盤に指をセットする。緊張の中、1音目が静かに鳴る。そこから始まるあたしの『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク第2楽章』あたしのお気に入りの曲だ。お客さんが一瞬、息を潜めるのがわかる。
 これは、元々弦楽曲であるこの曲を、あたしがピアノ用にアレンジしたものだ。曲は短調に転調し、また優しくゆったりと終わった。
 弾き終わると少しひっそりとした間があり、お客さんの拍手が聞こえた。
 これがあたしのアルバイト、あたしのステージだ。
 いろんなジャンルのいろんな曲を休憩を挟むが、閉店間際まで弾き続ける。ある時は大勢のお客さんのために、ある時はたった一人のお客さんのために。
 このステージの時間があたしの今一番の至福の時だ。
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