駆け抜けた少女【完】
「よぉ…。じゃじゃ馬娘。 いつまでも呆けてねぇで、こっちに来い」
耳に慣れた低い声。
恐る恐る振り返れば、其処にいたのは見慣れた顔で、彼は手酌で酒を飲んでいた。
ビクビクする矢央を見て笑ってはいるが、見つめる双眸は鋭い。
「なが…くらさん…」
新選組の観察方に連れられたのだから、新選組の誰かがいるのだろうとは思っていたが、
「あの……」
土方の次に、矢央が怖いと思う人物のもとへ連れて来なくてもいいではないか、と矢央は一瞬山崎を恨んだ。
嫌がらせか、と。
「わ、たし……」
ごくりと生唾を飲み込み、言われた通り近くに寄ってみたものの、どうしたものかと頭を下げる。
「元気にしてたか?」
「へ……?」
惚けた発言。
永倉は、くすっと笑い、「そう力むなよ」と、また酒を飲む。
「あの後、怪我か…風邪でもこじらせてねぇかと気にしてたんだぜ?」
あの後とは多分、川に落ち、永倉と沖田から逃げた時のこと。
矢央は申し訳なくて、ぐっと下唇を噛んだ。
心配してもらえた立場ではないのに、と。
しかし永倉は力むなと言った通り、警戒心を解かせようと、己から出ていた怒気を和らげていた。
「大丈夫、です」
「あいつもか?」
「あいつ?」
「人斬り以蔵さんだよ」
答えずらい質問をしたと我ながら思うが、これくらいならば嫌がらせ程度で済むはず。
多少の嫌みは、聞き流してもらっても罰は当たるまい。
「大丈夫、です。 多分…」
「多分ねぇ。 ところで矢央、今ちょっと面倒なことが起こってる」
「面倒なこと?」
ことりとお猪口を膳に置いた永倉は、ヒョイヒョイと手招きした。
何だろう(?)と、更に近づくと、左耳を思いっきり摘まれた。
「いたっ!」と声を上げてもお構いなしに、永倉は唇を寄せて、
「お華が、屯所に現れた」
と、告げた。
.