キャンティ
あれから1年。


「なぜ、電話をかけてきたの?」


僕が尋ねると彼女は小さな声で


「最後に…声が聞きたかったの。」


と言った。


ドクン…


心臓が飛び跳ねた。


「今、幸せなんだろう?」


僕が言うと、彼女は静かに

「…うん。」


と言った。



電話を切った後、僕は無性に切なくなった。胸が締め付けられるように苦しくなった。彼女と別れてから初めて強く抱いた感情だった。


会いたい。1度でいい。
彼女に…会いたい。


僕は持っていた携帯を力任せに壁に投げ付けた。


あの時、僕は彼女を追わなかった。


いや、追うことができなかった。


僕に別れを告げた彼女のその瞳からは何かに追われて暗闇から這い上がろうと必死にもがく小動物のように狂った光を放っていた。 


僕にはその瞳が怖かった。


身動きがとれなくなるくらいに。


だから追えなかった。


そして彼女は他の男と結婚した。


彼女のことをとても気に入っていた大手企業の副社長と。
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