キャンティ
僕は出されたコーヒーを一口すすった。


乾いた喉に心地よい苦みと香りが広がる。


「うまい…。」


僕が言うと、


「ありがとうございます。」


とマスターは笑った。


「ねぇ、マスター。」


僕はマスターに尋ねた。


「ここは何という街なんです?」


するとマスターは言った。

「ほぉ。初めてですか。」


「ええ。実は迷い込んでしまったんですよ。考え事をしているうちにね。」


僕はまたコーヒーをすすった。


「でも、おかげでこんなにおいしいコーヒーに巡り合えた。」


僕が言うとマスターは


「光栄です。」


と言ってまた笑った。


僕はよっぽど疲れていたんだろうか…。
その笑顔がうれしくて、ついコーヒーをおかわりしてしまった。


「今日は僕の記念日なんですよ。」


僕は言った。


「へぇ?お誕生日ですか?」


とマスターは言う。


僕は大きなため息をひとつしてからこう言った。


「いえ。会社を辞めた記念日です。」
< 2 / 61 >

この作品をシェア

pagetop