タナトスの光
あたしは驚きと恐怖から、声を出すことも出来ずに、思わず目をつぶってしまっていた。

暗闇の中。

自分のあまりのうかつさが情けない。
まさか殺人鬼だったなんて。
ついついその言葉遣いと、安易なルックスにだまされて、結構大切な話しなんかをしてしまった。

でも、あんな大きな鎌で切られたわりには、全然痛みがない。

恐る恐る目を開くと同時に。

「ただいま~。」
玄関のほうから聞きなれた、お母さんの声が聞こえてきた。

不思議なことに、あたしの身体は全然なんともない。

急ぐ足音が、廊下を通り、リビングルームの扉を開いて、入って来た。

あたしは急いで、涙を拭うと。

「おかえり。」
そう笑顔で言った。

お母さんは少し驚いたような、優しいような顔になって。

「なぁに?泣いてたの?なにかあった?」

あたしは小さく首を振った。
お母さんは、ソファに座っているあたしの隣りに腰かけると。

「学校早退したんだって?担任の先生から連絡があったわよ。まぁ、あなたのことだから心配はしてなかったんだけど。急に、なんだか急にね、なにかが切られたような感じがして、それがとても大事なことのように思えて。お母さんも会社を早退して、帰って来ちゃった。」

そう言ってお母さんは、あたしの肩に手を伸ばしてから、続けた。
「たまにはいいよね?学校早退したり、仕事早退したり。」

あたしは小さくうなずいてから、テレビのほうをチラリと見た。

さっきの彼女。
タナトスの光とかなんとかは、影も形もない。

今なら、言える気がする。
あたしは勇気を出して言ってみた。

「ねぇ、お母さん。週に一回でもいいから、昔のように、あたしお母さんと一緒に、食事の準備をしたり、一緒にごはんを食べたいな。」

“仕事が忙しいから、無理よ。”

そう言われると思っていた。

「いいわね。お母さんもそうしたい。本当はずっと、そうしたかった、昔のように。もうお父さんはいないけど、きっと近くで見守ってくれていると思うから。」

お母さんはあたしの髪をなでながら、お父さんの遺影のほうに目をやってから、そう言った。
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