テアトロ・ド・ペラの憂鬱
そんな希少価値を勝手につけられた目を持つ彼の顔でいつも見えているのは唇。
それはちょっとふっくらたらこ気味で、混ぜたてのメレンゲより柔らかいともっぱらの噂。
本人はそれがコンプレックスらしいが、アパルトマン住人やその他は、アンジーみたいで色っぽいと思っている。
「ねぇ、シャワー室にピピは居た?」
ビリヤード台に両足を乗せて素直に靴を脱がされている彼女に問われ、ボウラーはあぁ、と頷く。
「もう降りてくる筈だよ」
その間にも、ふたりの隣りでガフィアーノは煙草を咥えながら昼食の準備を進めている。
サンドウィッチ、惣菜、サラダ、チーズ、旬は過ぎたがまだまだ美味であろう生オレンジジュース、チョコにキャンデー。
それらが全てビリヤード台に並べ尽くされると、鼻歌が聞こえてきた。
母国では美声と評判だったらしいご自慢の鼻歌は、今日は物悲しいかな、オペラの悲劇。
ふわりと馴染む鼻歌男は、まだ濡れている長い髪を無造作に掻きあげてリビングに入ってきた。
「よぉ、おかえり」
通称、ピピ[Pipi]。
本名は誰も知らない。
というより、本名が長すぎて誰も覚えようとしないのだ。