恋口の切りかた
胸の奥の何かを

つかまれたような気がした。



「武士ならば──このような天下太平の世ではなく、先の見えぬ混沌とした世に生まれたかったと思ったことはないか」

菊田は濁った視線で日差しの強くなった空を見上げた。

「例えば、過去の戦国の乱世や──
あるいはこの先、訪れるかもしれぬ──太平の世の終わりに生まれておればと思うたことが」

俺の後ろに控えていた案内役が、ぎょっとした顔になった。

「菊田様、斯様なお言葉は──」

この徳川の世の終わり……などとは、随分と不穏な言葉である。

うかつに誰かの耳に入れば、謀反の疑いをかけられかねない。


周囲を見回して焦った声を出す侍を、しかし菊田は一笑に付して、

「全て戯れ言だ。聞き流せ」

静かだが、故に怖さの潜んだ──この男独特の言い方で命じた。


案内の者がすくみ上がって沈黙するのを見て取って、

「どうだ?」

と、菊田は再び視線を俺に戻して尋ねた。

「それは……」

「儂はある」

そう語る男のうつろな目を、俺はまじまじと見つめた。


「下克上の戦乱の世に生まれておれば、武功を立て、己の力でのし上がることもできた。

確かに酷い死に方をするかもしれぬが──それでも、過去のあの時代には、今の世では手に入らぬものがあった」


それが何か、おわかりか? と菊田は訊いた。
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