鎌倉物語
「鎌倉にはよくいらっしゃっているのですか?」
夕暮れに艶めいた長髪を潮風に靡かせ、女性は穏やかな笑みを浮かべていた。しかし、私にはこの親しげな女性の名前が頭に出てこなかった。
「はい。大好きな場所なんですよ……」
言いながら、私は女性の顔をぼんやり眺めていた。露骨にならぬよう気を遣った。名前を尋ねても悪くはないのだろうが、しかしそれをするのは気が退けた。すると途端に、私は何だか悪事を働いているような気持ちになった。言い出そうか、と思った。だか穏やかにどうやって、と続いた。とにかくも、彼女と私はそのとき不思議な関係にあった。
私が彼女を見ながら思索を続けていると、彼女は「覚えているでしょうか?」と切り出してきた。私はここぞとばかりに言葉を用意したが、間髪を入れず、彼女は話を続けた。