窓に影
今日母が作ったお菓子は、ガトーショコラだった。
こんな時に思い出をぶり返すもの、作らないで欲しかった。
「歩君、本当にお世話になったわね」
「俺こそ。自分の都合で辞めちゃってごめんね。おばさんのお菓子も、今日で食べ納めだと思うと寂しいよ」
「うふふ、また来たら作ってあげるわよ」
母にとっては爽やかな笑顔も見納めといったところだろうか。
最後の給料を手渡して、部屋を出て行った。
歩は気が抜けたようにいつもの顔に戻り、コーヒーをすすった。
そして、ガトーショコラを一口。
「うん。おばさんの味」
舌の利く歩。
バレンタインは、私が作ったって気付いたんだっけ。
おいしいよって言って、食べてくれたっけ。
あれからもう結構経つんだな。
私の味なんて、きっともう忘れてる。
「恵里?」
顔が上げられない。
上げたって、歪んだ視界じゃ歩の顔も見えない。