キミは聞こえる

「お、おじさんが倒れた!?」

 背後でばっと振り返る音がした。桐野一家が泉のほうを見たのだ。
 そちらに視線を送りつつ、だが集中は携帯と、履きかけのかかとに向ける。
 よろめきつつも足を靴に滑り込ませながら泉は尋ねた。

「救急車は呼んだんですか」
「よ、呼んだわ。でも、お義母さんは学校で、友香は病院で、私が付き添いに病院に行ったら家が誰もいなくなる、から、だから泉ちゃん」

 そういえば友香の父は木曜から出張で帰ってくるのは今日の夜だとか言っていた。

「わかりました。いますぐ帰りますから、落ち着いてください」
「わ、わかってる。じゃ、じゃああとでね」

 大雑把でちょっとのことには動じない友香の母親とは思えないほど彼女は繊細で気の弱い女性だ。気が動転しているに違いない。急いで帰ってやらなければ。
 泉は携帯電話をポケットに入れるとシートを振り返り、頭を下げた。

「ごちそうさまでした。急ぐのでこれで失礼します」
「彦さんが倒れたの?」
「そうみたいです。救急車は呼んだらしいんですが、どんな状態なのかまではわかりませんでした」

 上着を羽織り、マフラーはめんどうくさいので手にひっつかんで、泉は立ち上がった。

「なにかあったら連絡ちょうだい。うちならこのとおり全員家にいるからすぐに駆けつけるわ。―――進士、あんた泉ちゃんと一緒に行きなさい」
「えっ、でも」
「わはっ、た」

 おにぎりを呑み込みながら桐野はわかったと頷いた。
 狼狽える泉を余所に、桐野は手についた海苔を払い、立ち上がると靴を履き、振り返る。

「代谷行くぞ」
「う、うんっ」

 だが今は申し訳ないと思うより、いっこくも早く家に帰り、友香の母を落ち着かせることが優先された。

 泉はもう一度桐野一家に頭を下げると、桐野の背中を追いかけた。


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