キミは聞こえる
「…えん……い、あい」
「うんうんわかった。わかったから飯の時間まで大人しくしてよーな」
そう言って布団をかけ直そうと桐野は手を伸ばした。しかし老婆はそれを勢いよく振り払う。
「えんえっ。お、で!」
「えん? えんってなんだよばーちゃん。もうさっぱりわかんねーよぉ…」
桐野はがしがしと頭をかいた。
顔は笑っているけれど、眉間に寄ったシワを見れば桐野の感情は手にとるようにわかった。
彼は老婆がなにを言いたいのかわからず、苛立ちはじめているのだ。
泉は頭の中で老婆の言葉を反芻した。
――えんえ。おで。あい。
おそらくこれらはすべて子音。
んとでを除いた母音は、発声が思いどおりにいかず漏れたただの"音"なのだ。
"か"とずっと発音していると最終的に"あ"しか聞こえなくなるあれだ。
老婆はなんらかの原因であいうえお以外の音がうまく発音できないのだろう。
――えんえ。
彼女はなにを伝えたいのか。
(五十音順でえの行は、けせてね…。んはそのままだから――)
と、そのとき。
お? と泉は声には出さず、唇を軽く開いた。
老婆のくぼんだ目が一瞬、上を向いたのだ。
視線の先にあるもの、それは。