キミは聞こえる

「やっ、やめて!!」

 気づけば手が宙を切っていた。そしてそれは設楽の左頬に見事に命中する。


 ―――バチンッッッ!!!


 しんと静まり返った玄関に、強烈で、痛々しい音が大きく弾けた。
 ようやく落ち着いたはずの呼吸がふたたび乱れ出す。

「設楽てめぇ!!」
「出てって! 早く帰って! 二度と私の前に現れないで!!」

 半狂乱になって叫ぶと、設楽は先ほど以上にやにやと気色の悪い笑みを浮かべた。吐き気がした。設楽は泉に押されるがまま、外に出る。
 泉はドアを閉め、鍵をかけ、脇目もふらずに洗面所に駆け込んだ。


 水を唇に浴びるようにかける。かけてもかけても足りないくらいだ。
 汚い。汚い汚い汚い汚い! 腸という腸がねじれて桐野が近寄ってこなければ間違いなく吐いていた。
 潔癖症とかいう問題じゃない。とにかく、気持ちが悪かった。
 生まれてこのかたこれほど不快感を覚えたのははじめてかもしれないと思うほど、設楽の息は、顔は、気色悪かった。

 皮膚が痛みを上げるまで手を擦り付け、ようやく顔を上げると、鏡の端に心配そうに泉を見つめる桐野がいた。
 なにか言わねば、と思ったが今のこの状態で口を開くのは無理だと判断し、そのまま備え付けのタオルで顔を拭って一つ息をつく。

 すこしだけ、落ち着いた。

「代谷……」  

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