キミは聞こえる
「桐野なんかやめておきなよ。あいつに何人の女が泣かされてきたか、代谷さんは知らないんだね。すくなくとも、俺は女を短期間で代えることはしても、泣かせることはしない。ちゃんとけじめと区切りを付けて接する。それが俺のポリシーだから」
「あなたのポリシーなんてどうでもいい。それよりなんなのさっきから。まるで私が桐野君に特別な感情でも抱いてるみたいな言い方。やめてよ。そんなの、私は桐野君をそんなふうに見てない」
「ほんとに?」
「……どういうこと」

 設楽は自身の胸に手を当てた。
 かと思うと離し、持ち上げながら、人差し指だけ出した状態で拳を握ると頭―――――ではなく、

(耳……?)

 左耳を指さした。
 なにがしたいのかわからず、眉をしかめた。そのとき。

≪自分の心に訊いてみなよ≫

 声が聞こえた。

 しかし、ただ声が鼓膜を揺らしたのではなかった。
 あきらかに普通ではなかった。
 ざわざわっと胸が逆撫でられたような感覚だった。泉はとっさに胸を押さえ、着実に近づいてくる男を凝視した。

(どこから聞こえた。なにが起こった)

 じりじりと後退しながら泉は思考をフルに回転させて、いま起きた奇妙な現象を説明する的確な答えを見出そうと必死になった。

 設楽の口は動いていなかった。

 暗闇で見えなかったわけではない。目はだいぶ薄闇に慣れてきている。目を細めないと輪郭も顔のパーツもはっきりしないほど離れているわけでもない。
 たしかに見たのだ。
 設楽の口は、唇は、ぴくりとも動きはしなかった。
 それなのに声が聞こえた。
 幻聴などではなかった。
 泉はたしかに聴いたのだ。彼の声を。設楽の発する声を―――。

(どういう、こと)
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