キミは聞こえる
 ちがう、と泉は思った。

 桐野は桐野でも、彼はやはり自分の知る桐野ではないのだと、いまの一言でわかった。
 もちろん、桐野と悠士は兄弟であり、別の人間だ。だから違うのはあたりまえなのだが、すがる泉の手を優しく包み込んでくれた優しさは悠士にはない。
 友香のことを気遣って敢えて触れないようにしているだけかも知れないけれど、すくなくとも桐野は「言わないとわからない」という責めるような台詞を言って泉を急かしたりはしない。

 泉は悠士の袖から手を離した。

「橋のところに、変なヒトが、いて……」

 直後、悠士の眉間に不穏なシワが刻まれた。鈴分橋のある方角に目を向け、泉へと戻す。

「そうだったのか。なにもされなかったか? 危険を感じて逃げてきたのか?」
「……」

 変なヒト、とはもちろん設楽のことである。なにか別の言い方はないかと考えてみたもののこれというものが浮かばず、おもわず変質者のようになってしまった。しかし訂正する余裕はない。
 正直、いっぱいいっぱいだった。精神的にも、体力的にも。

 頷くと、ふいに悠士の大きな手が泉の頭にふっと乗せられた。

 見上げた悠士の表情は、予想外に、優しかった。

「怖かったな。だがもう大丈夫だ。俺が責任を持って家まで送ってやるから心配するな」
「……」

 黙ったまま悠士を見上げる泉に、男は微笑を浮かべたまま頷いた。浅くはあったものの、安心感を相手に与える力強さを感じた。
 頭を下げる。

「すみません……」


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