キミは聞こえる
 慌てて眉間のシワを伸ばす千紗がおかしい。引っぱりすぎて逆に梅干し以上に素晴らしい顔が出来上がっている。
 人が集中したいと思っているときに限ってのこれでは、踏ん張れ自分と叱咤しても無意味ではないか。

≪続きはまた今度ね。俺も腹減ったし≫
「じゃあ俺行くわ。まだ隣のクラスのメンバーに知らせてねーし」

 よくもまぁ心と口とで別々の言葉を発せられるものだ、と悔しくも感心しならが眺めていると、おまえはアメリカ人か! と突っ込みたくなるほどなめらかなウィンクを飛ばされて、おもわず反吐が出るかと思った。

≪今度っていつ≫
≪いつでもいいよ。でも登下校では無理かな。桐野の弟が着いてるんでしょ?≫
≪なんで知ってるの≫
≪今朝見たよ。帰りもここでって言ってるの聞こえたし。まさか兄貴と同じ人に弟も気持ちを寄せているとはね≫
≪……なんの話?≫

 ドアの桟をまたぐ手前で止まり、見せつけるように設楽は肩をすくめた。だからアメリカ人かって。

≪代谷さんて、モテてるって実感ある?≫
≪答えになってない≫
≪十分答えだと思うんだけど、まぁいいや。たしか明後日の何時間目だったかに体育があったよね。そのときまた声をかけてくれれば応えるよ。それじゃあね≫

 最後の部分は、設楽の姿が見えなくなり、声だけが流れてきているというものだった。
 電話とも違う、顔の見えない相手との意思の疎通。誰にも聞こえない二人だけの秘密のやりとり。

 設楽とのみ結ばれる隠れた世界。

 なんて言ってしまうといまにもおう吐しかねないので早々に意識を設楽中心から弁当中心へ移す。友香の母が作ってくれた彩り豊かな弁当は冷凍食品が少なく、健康を考えたバランスのいいおかずが詰め込まれている。
 冷えたそれらをつまみながら、しみじみと泉は思った。

 やはり自分は普通の人には出来ないことをなんということもなくやってしまっているのだと。

 こうして周囲とおしゃべりをしながら弁当を囲む。これが、本来人が行うべき正しい人とのつながり方だ。
 気づかれないところで他人の心を盗み見るなど、やはり本当ではない。

(だけど、表立って設楽と口を利くのは嫌だ)

 ……そこが一番の問題である。
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