キミは聞こえる
「代谷さん! 代谷さん待って!」

 息荒く泉の姓を呼んだのは康士だった。
 スタンガンに触れる手を下ろし、振り返る。

「どうしたの、いきなり帰っちゃって。にーちゃんと喧嘩でもした?」
「べつにそういうことはないけど。康士くんはどうして」
「代谷さんを送るためだよ。危険な目に遭ってまだそんなに日数経ってないのに一人で帰らせられないから」

 横に並ぶと康士は元のゆるやかな口調に戻った。
 これしきの距離を走っても体力に影響はないということだろう。羨ましい。

「それでわざわざ?」
「にーちゃんが――ああ、進士のほうね、が行けって。にーちゃん、なんかかなりへこんでる感じだったけど、ほんとうになにもなかった?」
「なにもないと思うけど……。桐野君、最近調子よくないみたいだよ。なにか気づいてない?」
「調子よくない? そうかなぁ、いつもどおりだと思うけど。飯もよく食ってるし。……ああ、でも」

 なにかを思い出したらしい。
 康士は言いかけて、泉に視線を向けた。

「たまにらしくない顔してるかも」
「どんな?」
「ぼーっとしてるっていうか、なんだろ、眉間のあたりに苦々しいシワ寄せて物思いにふけてるときもある」

 桐野はなにやら悩んでいるらしい。
 代谷家の玄関先で見せた憂い顔といい、康士の言う"らしくない顔"といい、やはり今の彼はどこかおかしい。
 
「喧嘩じゃないんだよね」
「うん」

 多分……。

 今日はずいぶんと桐野の様子がおかしく、会話をするたびに調子が狂ってときどき反発するようなこともあったけれど、喧嘩と言うほど大袈裟なものではない。
 現に、食事中は普段どおりに話していた。
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