キミは聞こえる
「ありがとう。でも、さすがに好きになることはないよ。あんな危険極まりない人」
「そ、だよな……」

 ほっとしたような吐息が耳をかすめ、泉まで安堵する。

「いきなり抱きしめる桐野君も桐野君だと思うけど」
「あっ、ご、ごめんっ!」

 ばっと離されると、触れるものがなくなって、急に寒さを感じた。

 ばつが悪そうな顔をして、桐野は斜め下へ視線を落とす。
 もじもじしちゃってさ、そういうところが笑いを誘うんだと言いたいのに、言ったら真っ赤になって怒り出しそうで、黙ってる。

 怒る顔も、おもしろそうで、気になる―――

 けれど。

 からかっていられる時間はとうに過ぎている。陽は沈みきった。年頃の男女がいつまでも二人でいていい時間帯ではない。

「もう遅いから帰ったほうがいい」
「あ、ああ。わかってる。けど、最後にもう一つだけ訊いてもいいか」

 どきりとした。

「なに」

 彼の求める質問の内容は、おおよそ見当が付いていた。
 聞きたくない。
 それでも頷かずにいられないこの状況。きゅっと軽く唇を引き結んだ。

「設楽と、なにを話してたんだ?」

 ―――……来た。

 逃げ道がない。とっさにいい誤魔化し文句が出てこない。
 言葉に詰まって、桐野から視線をそらす。

 そらしてから、あっ、と思った。

「俺に、言えないことか?」

 ……まぁ、そう来るだろう、彼ならば。
 そう思ってくれと言っているようないかにもな態度だ。

 しかし、
 なぜ桐野がそこまで沈んだ表情になるのかいまひとつ理解に苦しむ。
 それだけではない。
 そもそも、なぜ自分は桐野に抱きしめられたのか、なにもかも桐野に打ち明けなければならないのか、彼の表情にいちいち一喜一憂しなければならないのか。
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