キミは聞こえる
 どたばたと足音を立てて階段から駆け下りてきたのは康士である。兄二人の間に腕を挟み込んで、やめろ、と声を張る。

 今度は桐野が舌を打つ。

 よりによってこんなときにピンク色のTシャツを着、上にカーディガンを羽織っている。おかげで代谷からのメールを思い出し、桐野はますます冷静さから遠のいていく。

「やめろって!」
「ちょっと、なにやってんのよ! いい歳して兄弟喧嘩はやめなさい! 聞こえないの!? もうっ、離しなさい進士!」
「なんだぁ? お、進士、帰ってたのか」

 引き千切るかのような勢いで母親は桐野の腕をむしり取った。食い込まれた指の跡が赤く、じわじわと痛み出す。

「いったいなにがあったのよもう。悠士、説明して」
「知るかよ」
「進士、あんたから手を出したの」
「……」
「進士、聞いてるの」

 名を呼ぶ声も、腕を揺する手も、家族の視線もすべてがうるさいと思った。

 何もかも鬱陶しい! 
 放っておいてくれ!

 無言のまま三人の間を通り抜けて、廊下に顔をのぞかせる父の前をもそのまま通り過ぎた。

「進士。ちょっと、進士! んもうぅ……ねぇっ、ご飯は?」

 階段を上っていく桐野の背に、母が言葉を投げる。

「いらない」

 背を向けたまま短く答えて、返事を聞く前にと残りの数段を一段飛ばしで一気に登りきる。

 部屋に飛び込んでドアを閉め、乱暴にカバンを床に落とすと敷きっぱなしの布団に寝ころんだ。畑が忙しかったのか、畳んでくれなかったらしい。

 ややつぶれかけの枕に顔を押しつける。骨盤のあたりにごつごつしたものを感じてポケットに手を入れると携帯だった。

 開いても、メールが来た気配はない。

(代谷って、やっぱ俺には無理なのかなぁ……)

 鳴らない携帯。光らない鉄の塊。

 先ほどまでは気力に満ち満ちていた親指も今はすっかり萎んで、代谷からのメールを読み返すことしかできなくなってる。


 過去を見つめても満足できるはずはないのに、進むことがなにより怖い。
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