キミは聞こえる
「それで、なのだけれど」

 理事長の視線が泉に固定される。

「全国ということになると、なにかとプライバシーの問題についても考えてからでないと応募できないのよ。特に被写体が人となれば、なおのこと。わかるわね?」
「はい」

 理事長にこの話を持ち上げられたときからその点を一番に案じているのだ。
 もしなんとか賞に食い込みでもすれば、泉の顔が日本全国に広められてしまう、可能性が…ある。

 ソファに載せていたぴらぴらの用紙を理事長は写真の隣に置いた。

「承諾書よ。代谷さんのサインと、ご家族の印鑑が必要なの」
「ご家族」
「そう。ここからは、泉の代谷家でのおばあちゃんとして話すけれど、もしあなたが承諾するのであれば私が代わりに印を押しておくけど、どうする?」

 佳乃にちらりと目をやる。
 すこしは正気に戻ったようだが、「全国、全国」とぶつぶつ呟いたままあらぬ方を必死に凝視している。

 駄目だこりゃ。

「これは栗原さんの作品なので彼女がどうしてもと言えば私に断る理由はありません。写真を撮られたとき、覚悟しました」

 嘘である。無理矢理座らされて、許可なく撮られた。覚悟なんて言葉がよくすんなり出てきたなと思う。

 しかし、これを提出用にしてよいかと訊かれたとき頷いたのは他ならぬ自分だ。佳乃が出しますと頷けば自分にどうこう言う権利はない。
 この写真は、紛れもなく佳乃の物だ。

「代谷さんはそういうことのようだけど、栗原さんはどうします? あなたの作品を推薦枠作品としてコンクールに出してもいいかし――」
「……かっ、考えさせてください!」
「?」

 つい今の今まで心ここにあらずの状態だった佳乃の突如とした大声に、泉と理事長は目を見張ったまま互いの顔を見合わせた。

 いきなりどうした。とうとう乱心したか。

 膝小僧のあたりを見つめたまま、佳乃はぎゅっと手をこぶしに握る。

「栗原さん、どうしたの?」
「……」

 はてなを頭上に浮かべ、孫と祖母は揃って首を傾げる。
 佳乃は俯き黙りこんだままだ。

「――まぁ」と理事長はすぐさま理事長の顔つきに戻ると「いますぐにというわけではないから」と言って、微笑んだ。
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