キミは聞こえる
「ごっ、ごめん! なんか私、鬱陶しいこと言ってるね。急いでるのにいつまでも―――」

 胸に、微かな衝撃。

 耳を佳乃の髪の毛がかすめた。

 一瞬の沈黙。

 耳許で佳乃が驚きの声を上げた。「しっ、代谷さん!?」

 ぎゅうと、泉は腕に力を込める。

「ありがとう。私のこと、気にかけてくれて……」

 ほんとうに、ありがとう。

 あの夜、桐野がしてくれたように自分も佳乃を抱きしめる。というか、気づけばこうなっていた。

 友情などと、と馬鹿にしていた、くだらないと鼻で嗤っていた己こそが一番の馬鹿だったのだと思い知る。

 自分のために一語一語、一所懸命に言葉を選んでくれる佳乃のどこをどう見ればくだらないなどと思えるだろう。馬鹿だなんて、間違っても口に出来ない。

 こんなにも嬉しいと感じる心は、佳乃が与えてくれたものだ。

 それをどうすれば、面倒などと言えようか。


 理事長に訊かれた問いの答えをいま応えたい、と思った。

 おばあちゃん。
 いま、私はたしかに幸せを感じたよ、と。


「代谷さん」

 名を呼ばれ、解放して佳乃を見る。呆然としているような、惚けているような顔。

 目覚めよ、というつもりはなかった。ただ、こんな彼女を見ていると、どうしても言いたくなる。


「小野寺くんのほうがよかった?」


 途端、みるみるうちに佳乃の顔が温度を上げていく。
 沸点到達まで、五秒とかからなかった。

「なっ、なに言って……!!」

 予想通りのリアクション。
 ここまで期待に応えてくれる人って、なかなかいないよね。

「冗談だよ。栗原さんはまだ帰らないの?」
「かっ、帰るよ!」
「なら、途中まで一緒に帰ろう」

 微笑むと、佳乃は一瞬きょとんとした後、ぱっと顔をほころばせて「うんっ」と弾んだ声を返した。

< 353 / 586 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop