キミは聞こえる
 誰かに話しただろうか、と。

 いいや、いない。

 俺は稲森先輩を敬愛していると、そんなこと誰にも話した覚えはない。

 小野寺にさえ打ち明けていないのに、どうして部の違う設楽に話す?


 どうして―――。



 桐野は机の上の写真立てを手に取った。

 思えば、あのときからである。
 設楽に対し、心のどこかでいつも僅かな違和感を抱くようなったのは。

 稲森先輩のことは確かに深く尊敬していた。

 周囲は皆、デキのいい兄貴を追いかけているのだろうという目で見ていたようだが、事実、桐野の心の中は、実の兄である悠士の存在より稲森先輩のほうがはるかに広い面積を占めていた。

 ……たしかに、悠士にも少なからず尊敬の念は抱いているけれど、兄に対する胸焦がす感情は尊敬よりも圧倒的にライバル心の方が強い。

 いつも誰よりも近くで兄の出来の良さを見せつけられてきた。

 一つしか違わないのに……、という言葉を自ら頭に浮かべるたびに、奥歯をぎしぎしと鳴らして悔しさに耐えた。

 悠士のことは好きだが嫌いだ。

 だから、桐野の頭の中で常に絶対的な輝きを放っていたのは稲森先輩だった。

 ……それほどに敬愛していてどうして周りに話すことが出来なかったかというと、憧れと口にするのさえ憚られるほど桁外れの実力を持っていたからだ。

 スピード、テクニック、ボールを己の一部のように操る軽やかさ鮮やかさ、その動きは人々の間を吹き流れる風のごとく、蜘蛛のように絡みつく足という足をするりとかわし、キーパーの目を欺いて得点――チームの士気をいっそう高める。

 写真は、県大会優勝時に記念撮影をしたときのものである。その年は全国まで駒を進め、声をかけられた稲森先輩は推薦で県外の高校に入学した。

 自分で言うのも嫌なのだが、康士によく似た少年が小野寺を隣に笑っている。

 どうしてわかったのだろう。

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