キミは聞こえる
 この声は、と振り返ると、見慣れた女の人がビニールハウスの中から手を振っていた。
 桐野の母だ。

 近づくと、ハウスの中からゆるい熱風が流れてきた。
 それと一緒に、堆肥らしき嗅ぎ慣れない芳香が泉の鼻を襲った。
 
 そんな中でも平気な顔をしている農家の彼女はむしろにこやかにいらっしゃいよと手招きをする。

 一瞬の躊躇。
 しかし嫌だとは言えない。

 側溝をまたいでハウスに足を踏み入れる。

「こんにちは」
「友香ちゃんに荷物? いつも偉いわねぇ。そうそう、コンテストのこと聞いたわ。残念だったわねぇ」

 別に泉自身はまったく残念と感じていない。がっかりされても困る。

「それどころか、進士と一緒に祭に行くなんて、もっと他にいい男(こ)いなかったの?」
「桐野君の隣は私なんかでは不釣り合いでしょうか。案内を頼んだら快く引き受けてくれたのでお願いしたんですけど」

 桐野母は大きく手を振った。

 軍手から乾いた泥がぱらぱらと落ちてくる。さりげなく避ける。

「逆よ逆。進士のほうが不釣り合わないんじゃないかと思って心配してるの」
「桐野君、女の子にとっても人気があるんです。桐野君に不釣り合いな女子は多くいても、桐野君が不釣り合いな女子はそうそういないはずです」

 噛みそうな台詞をよくぞ言い切った泉。

 桐野母もさすがにそこまで褒められると嬉しいらしく、はにかんで小さく頭を傾げた。

「あらまぁ、あの子ったらそんなにもてるの? たしかに中学の卒業式、制服のボタン全部なくなって帰ってきたけど」
「それがまさに証拠じゃないですか」

 ふふふと口角に笑みを乗せたまま、桐野母は軍手を外した。女親はなんだかんだ言って息子が可愛いのである。

「しっかりエスコートさせるよう言いつけておくからね」

 そう言うと、桐野母はハウスの隅にちんまり置かれていたイスの上から、束になったビニール袋の一枚を抜き取り、泉に差し出した。
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