キミは聞こえる
「これから家に帰るのよね、きっと。カバンも持ってないし」
「はい」
「じゃあせっかくだし、ハウスの野菜、持っていって。そこのつぼみ菜なんか食べ頃よ」
「つぼみ、菜……?」
指で示された先に生えていたのは、大根の葉とも、ほうれん草とも取れる緑色の葉野菜だった。
強いて言えば菜の花………に近いだろうか。
「主となる太い茎から伸びてる細い茎があるでしょう、わかる?」
「はい」
「その細いところを指先で挟んで軽く引っぱるの。そうそう、簡単でしょ?」
「この、つぼみごと食べるんですか?」
「そう、お浸しとか和え物とかね、アクが少ないから初めての人でも抵抗なく食べられると思うわ」
やわらかな茎はお辞儀をするように先端を泉に向けて垂れた。まだほのかにあたたかい。
「取り立ては最高よ。花が咲く前のつぼみは栄養を豊富に含んでるから、健康にもとってもいいの。ぜひ代谷のみなさんと食べてね」
言いながら桐野母はどんどん茎を引っぱってはぷちっと折っていく。
片手で持ちきれないほどのつぼみ菜の束を、どさっと泉に持たせたビニール袋に入れた。
「ほらほら泉ちゃんも取って取って」
桐野母はご機嫌で、つぼみ菜の他にもあれこれとハウスの野菜を説明し、袋に詰めてくれた。
めいいっぱいに詰め込まれた袋を見て、これでは雑草取りに来たボランティア団体のゴミ袋だな、ととんでもないことをちらりと思った。
「こんなにいただいていいんですか?」
「進士がへまやらかしたときは見逃してやってね」
顔を寄せて桐野母は囁いた。さりげない賄賂だったのか、これは。
桐野母は泉を見送るため、ハウスの外まで出てきてくれた。
「お祭りの日は、桐野君をお借りします」
「ふつつか者ですがよろしくお願いします」
その表現は息子にも使うのだろうか、恭しく頭を下げた桐野母とすこしだけ笑い合う。
するとそこで、にこやかだった桐野母の顔が急に不穏の色に満ちた。
そのあまりの変わり様に、泉はどうしたことかと軽く目を見張る。
だが、問いかけを含んだ泉の眼差しに彼女は気づかず、一心に泉の後方へと視線を向けていた。
足音が近づいてくる。
誰だろう、と首を捻ったそのとき。