キミは聞こえる
 危うく涙が翔吾のつむじに落ちるところだった。

 これだけ傷つけられてもまだ楽しむ気持ちを忘れない無垢な思いの欠片が翔吾の心には残っていた。

 ……なんて愛おしく、痛々しいのだろう。

 泉は痩せ細った少年のあまりにちいさな身体を精一杯に抱きしめた。

 子供はこうでなければならない、と思う。

 夢に焦がれ、笑顔に溢れ、遊びに夢中で、いつだってきらきらしていてこその子供だろう。

 もっと笑っていて欲しい、

 いま翔吾が抱いている色鮮やかな思いを手放さずにいて欲しい、そう心から思った。

 そうすればきっと、翔吾の生きる世界はもうすこしやさしくなるはずだから。

 多少乱暴ではあったものの、彼を守る者はいまや母ではなく役人である。

 暴力を受け、食事を制限され、あげく育児を放棄した、それらの事実が公になれば翔吾は法律という絶対的な盾に守られることとなる。

 彼が笑顔を取り戻し、楽しむ心を忘れなければ、あのアパートで過ごしていた頃にはおそらく見ることの出来なかっただろう光ある未来が、すこし現実味を帯びるはずだ。

 桐野が周囲を魅了して止まないのは、彼の太陽のような笑顔が人々の心を温かくさせるからではないだろうかと思う。
 
≪私の友達も、サッカーが大好きだよ≫
≪じょうず?≫
≪すっごく上手。だから今度、相手してもらおう≫
≪ほんと!?≫

 くりくりとした大きな瞳はあまりに純粋で、穢れがなさ過ぎて、それでまた涙がこぼれそうになる。

 どうすればこんなに愛しい顔を殴ることが出来るのだろう。

 笑顔を作るのに、こんなに苦労したことはなかった。

≪約束する。いっぱい、遊んでもらうといいよ≫
≪うれしい。やくそくだよ、おねえちゃん。やぶったらいやだからね≫

 小指を差し出すと、翔吾の小指が泉のそれに絡みついた。

 そして、約束には付き物のお馴染みの指切りの歌を歌おうとして口を開いた翔吾の顔が、ふいに翳った。

 唇を塞いで、俯く。


 まさか、と泉は思わず瞠目する。
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