キミは聞こえる
 あんな性根腐った娼婦に翔吾を渡してなるものか。

 なにより、翔吾自身が嫌がっている。

 ならば泉は彼の意思を尊重するだけだ。冷たくなる少年の身体を泉は強くかき抱いた。

 引きずり出そうとする担当医の手を振り払おうと女は腕を上げた、そのとき。



≪い、いやだ……ぶたないでっ、ママ!≫


 声変わりにはほど遠い、少年の金切り声が頭蓋を揺らした。

 泉が声をかけるまで忘れていた悪夢の記憶がたった今、泉を突き飛ばしたその仕草を目にした瞬間、弾けるようによみがえったらしい。

 頭を抱える翔吾の目は零れんばかりに見開かれ、ぼたぼたと大粒の涙がこぼれ落ちる。

 怯える翔吾の背中を、大丈夫、大丈夫、と泉は何度もさすった―――まさに、そのときだった。



「―――場をわきまえなよ、オバサン」



 後ろから、ふいに男の声が響いた。

 振り返ると、泉たちを庇うように女の前に立つ大きな背中が。

 くるりんと跳ねた軽いクセっ毛、そして、この耳によく馴染む声―――


「き、桐野くん」
「さっき警備の人を呼びました。いますぐここを去ったほうが賢明だと思います」

 桐野が言うと、女はじわじわ口角を歪ませ、忌ま忌ましげに舌を鳴らした。

 束の間の睨み合いはもちろん泉たちが圧勝し、やがて娼婦はしぶしぶといった様子で食堂を出て行った。

 ほっと息を吐く間もなく、翔吾に抱きつかれ前のめりになる。


≪あれでよかったの? ママと離れて、寂しくない?≫

 頭を撫でながらそっと問いかける。

≪ママと、いっしょにいたい。でも、いたくない。いたいの、ぼく、やだ……≫
≪うん…そうだね≫
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